江戸時代より栽培が始まった中伊豆のわさび生産ですが、江戸時代から大正年間くらいまでは、いわゆる地苗(じなえ)と呼ばれる現地での株分け苗での栽培が主体でした。
これは分根での栽培方法で、わさびの形態が異なる集合体で品種も色々ですから生産性の低い方法でした。
明治時代軍艦の建造のために天城山の御用林の伐採がされたため、腐敗病が蔓延して植えつける苗がなくなり、神奈川県の方から半原種(これも決まった品種でなく原産地が半原地方という意味)が導入されました。
大正時代末期から昭和初期にこの半原種の中から選抜されたわさびに、一世を風靡した初めての栄養繁殖品種「ダルマ」種がありました。
苗がたくさんよく付いたため分根で増やすことがたやすくでき、青茎系統で急激に太くなったためと(専門用語で総太といいます)なにせ風味がよかったためでした。
昭和40年頃より約四十年間の栽培を経た頃より、退化現象が現れて、原種に近いものがほとんどなくなりました。
それに昭和33年の狩野川台風で多くのわさび田が流失してしまい、伊豆地方のわさびに壊滅的な被害を与えました。
先人たちの努力でわさび田は復旧しましたが、植えつける苗がなくなってしまい和歌山県の真妻村(現在は印南町になりました)より「マヅマ」種が導入されました。
この「マヅマ」種は赤茎系統で数種類の集団で、中伊豆で栽培され始めてから五十年になろうとしています。
現在この「マヅマ」種も「ダルマ」種と同じように退化現象が見られ、急激に品質が悪くなりつつあります。
これは、良質な生産性の高いわさびを栄養繁殖(株分け)で栽培し続けるけるための
「 宿命・・・・・・・・ 」
なのかもしれません。